大判例

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東京高等裁判所 昭和58年(う)1826号 判決 1984年7月26日

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人戸崎悦夫、同川上真足が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、原判決は、被告人が原判示のとおり自車をA運転の自動車に追突させたために、同人及びB子の両名に対し原判示の傷害を負わせた旨認定したけれども、本件事故により右両名が負傷したと認定できる証拠は存しないから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

一、そこで、所論にかんがみ、記録を精査し、当審における事実の取調べの結果を参酌して検討すると、まず、本件各証拠によれば、被告人は、昭和五四年一〇月五日午前九時二五分ころ軽四輪貨物自動車(以下被告人車という)にほうき一八〇本(重さ約一〇〇キログラム)を積んで長野県上水内郡信州新町大字新町字町裏沖四番地の一先の国道一九号線を奈津女橋方面から松本方面に向かって進行中、進路前方にA(当時二一歳、以下Aという)運転の普通乗用自動車(以下被害車両という)が信号に従い停車していたので、その後方約一・〇四ないし一・二メートルの地点にギアをニュートラルにしフットブレーキを踏んだ状態で自車を停車させたが、同所は勾配約一〇〇分の二度の緩やかな下り坂であるのに、被告人は、停車直後に後方から大型トラックが接近してきたのに気をとられてフットブレーキを踏んでいた足を緩めたために、被告人車は前方に自然発進をして被害車両に追突したこと、被害車両には、Aが運転席に、当時妊娠四か月であったB子(当時二一歳でその後Aと結婚してA姓となった。以下B子という)が助手席に座っており、なお、被害車両の運転席及び助手席にはむち打ち防止のためのヘッドレストが装備されており、A、B子の両名は右追突を受けたとき運転席又は助手席に普通の姿勢で座っていたこと、以上の事実が認められ、右事実に反する格別の証拠はない。

二、まず本件事故によりA、B子の両名が受けた衝撃の程度について検討すると、証人Aは、原審において、追突されたとき、上半身が前に倒れ、顔はハンドルにぶつかることはなかったが、首が前の方にがくんと折れ、首にショックを感じた旨、また、証人B子は、原審において、追突されたとき、首ががくっとなり、体を前にぶつけなかったが手で支えたような気がする旨それぞれ供述している。

しかし、鑑定人江守一郎作成の鑑定書及び同人の原審における証言(以下江守鑑定という)によれば、本件において被告人車が自然発進により一・〇四メートルあるいは一・二メートル進行したときの時速は、それぞれ約一・四ないし一・六キロメートル、一・六ないし一・八キロメートルであること、被告人車が時速一・五ないし二キロメートルの速度で被害車両に追突したときに生じる被害車両の加速度の最大値は〇・二五ないし〇・三一g、右加速度を生じさせた衝撃力の最大値は二六〇ないし三三〇キログラム、右衝撃により被害車両の乗員の頸部に加わる力の最大値は、座席にヘッドレストがない場合には一キログラム弱であるが、ヘッドレストがある場合には殆ど力が加わらないこと、以上の事実が計算式から求められ、右程度の加速度(減速度)や衝撃力は、車を普通に運転走行する際にもしばしば生じる(ちなみにスポーツカーを急発進させる場合の加速度は〇・三五g、急ブレーキをかけた場合の減速度は〇・六gである)というのであり、これに被害車両に追突したとき被告人の体には全然衝撃はなかった旨の被告人の原審公判廷における供述をあわせ考えると、本件事故によりA、B子の両名が受けた衝撃は、普通に運転している車に乗っている者が走行中にしばしば受ける程度のものであって、右両名は、首には全く衝撃を受けず、又は受けたとしても僅かであったものと推認され、当審受命裁判官による検証において、本件現場で本件当時とほぼ同じ条件のもとに二台の自動車を衝突させたところ、衝突時の追突車両の速度はほぼ江守鑑定のとおりであり、また、被追突車両の助手席に座っている者の腰の辺りには衝撃を感じたが、首には衝撃を感じず、首が前後に揺れることは全くなかったことも右推認を裏付けており、したがって、右両名の体が前に倒れ首ががくんとなった旨の右両名の前記原審供述には疑義があり、にわかに信用し難いものといわざるをえない。

三、次にA、B子の両名が本件事故により原判示の頸部挫傷を負ったか否かにつき検討すると、

(一)  まず、B子については、本件各証拠によれば、同女は、本件事故直後下腹痛を訴え、信州新町の病院を経由して長野市の丸山産婦人科医院に赴き、丸山医師の診察を受けたが、同女は妊娠四か月で下腹痛を訴えたため、同医師は、診察の結果、胎児の心音も確認されまた出血もなかったけれども、本人が痛みを訴えているのに松本まで帰すのは無理であり切迫流産を避けるためには安静が必要であると判断し、同日から同月八日までの間同医院に入院させたが、その間の同月六日には腹痛の訴えは殆んどなく頭痛を訴え、同月七日には頭痛と腹部にガスがたまった状態を訴え、同月八日には後頭部が重いということを訴え、また吐き気を訴えたけれども、同医師はそれほどひどいものではないと思ったので頭痛の訴えに対しては薬も投与しなかったこと、B子は、同月一一日叔母が助産婦をしていてそこで出産を予定していた松本市の丸の内病院へ赴き、まず婦人科で診察を受けたが大丈夫ということで、次いで外科で診察を受けたが、その際同女は担当の外科医長五味医師に対し、同月五日に追突事故にあったこと、丸山産婦人科医院で流産の心配があったので経過を観察していたこと、同月六日ころから頭痛、吐き気、目まいがし、後頭部の痛み、肩こり感があることを訴え、同医師は頸部のレントゲン検査をしたが頸椎には異常はなく、抗炎剤、鎮痛剤、ビタミン剤、安全剤を投与し、入院となったこと、同医師は、同月一一日付で「頸部挫傷(むちうち症)右外傷に依り全治二―三週間を要す」旨の診断書を作成したが、当初はその程度の見込みであったこと、同女は同月一九日に退院したが、退院時の症状は、主として首の痛み、頭が重いということであり通院を要するものとされ、退院の際は投薬五日分と首の痛みについてはシップ剤を出したこと、同月二四日通院した際には、首の痛みと軽い頭痛を訴え、ビタミン注射をし投薬五日分を出したこと、その後同年一一月一〇日、二四日、二九日、一二月三〇日、翌昭和五五年一月二一日、二月一五日に通院したが、右一二月二九日には特に頭痛がして首が重く肩こりがすると訴え、最後の二月一五日の症状は、首の痛みは殆どなくなったが、頭痛が少しする、両腕のしびれが軽くあるということであったこと、その後通院していないので右の時点で治癒と判定されたこと、以上の事実が認められる。

(二)  次に、Aについては、本件各証拠によれば、同人は、昭和五四年一〇月八日、長野市の小林外科病院に赴き、大橋医師の診察を受けたが、その際同人は同医師に対し、首筋、うなじ、後頭部の痛み、軽いめまい、首のねん転、曲げる運動が障害されているということを訴え(なお、カルテには左の前頸部に圧痛がある旨の記載がある)、同医師は頸部のレントゲン写真を撮ったけれども異常はなく、同月五日カローラを運転停止中軽トラックに追突されたということであったので、発症の原因からむち打ち症と病名をつけたこと、そしてビタミンの血管注射をし消炎、鎮痛剤、消化剤を入れたビタミン剤を五日分投与したが、同人はそれ以後来院していないこと、その後松本市の前記丸の内病院にB子と一緒に行き、外科の前記五味医師に少しおかしいので見て欲しい旨述べ、診察した同医師は、五日分位の投薬を出し、同月一九日付で「頸部挫傷、頭書の外傷は十日間で治癒す」との診断書を作成したこと、以上の事実が認められる。

(三)  ところで、鑑定人木村康作成の鑑定書及び同人の原審における証言(以下木村鑑定という)は、A、B子両名の頸部の傷害は本件の追突事故により発生したものであるとし、また前記原審証人五味五郎も、右両名は本件追突事故によりむち打ち症になる可能性がある旨供述しており、右各診断及び鑑定によれば、A及びB子は本件追突事故により原判示のような傷害を負ったものと認められるかの如くである。

しかし、右各診断を行った医師である原審証人丸山庸雄、同大橋東二郎、同五味五郎の各供述によれば、右各診断はいずれも専らA、B子の愁訴に基づきなされたものと認められ、右両名の頸部のレントゲン撮影の結果も異常がなく、右両名に頸部挫傷ないしはむち打ち症についての他覚的な所見があったものとは認められず、右疾病の性質上、右愁訴があるときは他覚的所見がなくても罹患の可能性は否定できないけれども、他覚的所見が存しない限り右各医師が右のように診断したからといっても、右両名が真実頸部挫傷ないしはむち打ち症ではなかった可能性もまた否定できないのであって、右両名の右愁訴が真実であることが、右疾病に罹患した事実が認められるための前提条件であることは言うまでもなく、前記木村鑑定人の証言によれば、同鑑定人は、衝撃を受けた場合のむち打ち症は二〇才代が一番発現し難く、本件は衝撃力が小さくていつまでも痛いと言っているので詐病の問題が出てくると思ったが、鑑定資料の中には詐病と断定できる被害者らの性格等についての資料がなく、積極的に詐病であると認定できないので、詐病の点の検討をせず両名の愁訴が真実であることを前提として鑑定をしたものであることが認められ、また前記五味証人も原審において本件の場合は珍しい症例である旨供述しており、同人の診断が専ら両名の愁訴に基づくものであることも前記認定のとおりである。

四、そこで、A、B子の両名の前記のような愁訴が真実を述べたものであるか否か、すなわち詐病の有無の点について検討すると、

(一)  前示のとおり、本件事故によりA、B子の両名が受けた衝撃は、車を普通に運転する場合に走行中しばしば受ける程度の軽微なものであって、右両名は首には衝撃を受けておらず、又は受けていたとしても僅かであったと認められ、また、本件当時右両名は、いずれも二〇歳又は二一歳の若者であり、ヘッドレストが装備されている座席に普通の姿勢で座っており、不自然な体位ではなかったのであって、前記江守鑑定は、両名がこの程度の衝撃で頸部に負傷したとは考え難いとしており(同人の鑑定書)、また木村鑑定も前記のように詐病が問題となるようなケースであるとし、五味医師も珍しい症例であるとしていること、

(二)  証人Aは、原審において、風呂に入ったら熱を持ったので一〇月八日長野市の医者でみて貰ったとする以外自覚症状について何ら供述しておらず、また、証人B子は、原審において、同月六日ころから両手がしびれ、頭ががんがんした、丸の内病院へ通院中も天気が悪いときは頭がガンガンした、両手のしびれもたまには出た、通院をやめてからも雨の日など頭が痛くなることがあったが、現在は大分よくなった旨供述していて、両証人が自覚症状として供述するところが、前記のような各医師に対する愁訴の内容と一致していないこと、また、B子は、当時妊娠四か月でもあったこと、

(三)  《証拠省略》によれば、A、B子の両名は、知人であるCらと一緒に長野刑務所を出所した同人の知人を迎えに行った帰途、本件事故にあったものであり、本件事故現場において、右Cは、A、B子の両名に対し病院に行くよう指示したうえ、被告人に対し、自分達は右刑務所を出所した人の出所祝いの帰りである旨申し向け、自分達が暴力団関係者であるような言動を示して被告人を畏怖させたうえ、当日B子らの見舞いのために前示丸山病院に赴いた被告人に対し、五万円を持参させ、Aは自分の弟分であることを告げたうえ、翌日損害賠償の交渉のために長野市内のホテルに来るよう申し向け、翌日農協の保険担当者と同道して右ホテルに赴いた被告人に対し、B子は切迫流産を予防するために右丸山病院に入院したに過ぎず同女が出血した事実はないのに、同女が出血しているので、松本の病院に入院させる旨申し向け、同行者にしつこく席を外すことを求めて被告人一人にするなどして、五〇〇万円の支払方を執拗に要求したがAもその場にいたこと、被告人は弁護士に相談するなどしてこれに応じないでいたところ、Aはその後も慰藉料などの要求を繰り返していることが認められ、右出血の点については、原審証人Aもそのとき同女が出血していた旨虚偽の供述をしていること、並びに、同証人及び原審証人B子の、追突されたとき体が前に倒れ首ががくんとなった旨の各供述も前示のとおり虚偽であること、

以上の事実を総合すると、A、B子の両名は、右Cと諮り、若しくは同人の指示により、被害車両が被告人車に追突されたことを奇貨として被告人から損害賠償名下に多額の金員を取得しようと考え、医師に対し本件事故により頸部挫傷ないしはむち打ち症となったように装って前示のような内容の愁訴をしたものであって、B子については、同女は本件当時前示のとおり妊娠四か月であって、長時間にわたりドライブをし追突事故にあったこと等のために、下腹部痛及びむち打ち症の症状に類似する頭痛など若干の症状は生じたとも窺われるが、同女の大部分の愁訴及び孝の愁訴、並びに、右各愁訴の全部が事実であるかの如き原審証人B子、同Aの各供述は、いずれも虚偽である疑いが極めて濃いものといわざるをえないものと考える。したがって、右各愁訴が真実であることを前提とする前示右両名に対する医師の各診断、並びに、右事実のほか、前示のとおり追突の際における衝撃についての右両名の各供述は措信できないものであるのに、右各供述をも真実であることを前提とする木村鑑定はその前提を欠くものというべく、右各診断及び木村鑑定をもって右両名が本件事故により右傷害を負った旨の事実を認める証拠とすることはできないものといわなければならない。そして、本件において右のほかには右受傷の事実を認定するに足りる格別の証拠は存しないことが明らかである。

五、以上に判示したとおり、当審における事実の取調べの結果を参酌すると、本件各証拠によっては、本件事故によりA、B子の両名が原判示の傷害を負った事実があるものと認めることはできず、結局その証明がないものといわなければならないから、右事実を認定して右両名に対する業務上過失傷害罪の成立を認めた原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるものというべく、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、さらに次のとおり判決する。

本件公訴事実は、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和五四年一〇月五日午前九時二五分ころ、普通貨物自動車(軽四輪自動車)を運転し、長野県上水内郡信州新町大字新町字裏沖四番地の一先道路を奈津女橋方面から松本方面に向かい進行し、同道路で前車に続いて一時停止中、前車に続いて一時停止していたのであるから、ブレーキ等を的確に操作し、不用意に前方へ発進させないようにすべき注意義務があるのに、これを怠り、後続車両に気を奪われてブレーキペダルを踏んでいた足の力をゆるめ、不用意に自車を前方へ発進させた業務上の過失により、自車直前に信号待ちで一時停止中のA(当二一年)運転の普通乗用自動車に自車を衝突させ、よって同人に加療約一〇日間を要する頸部挫傷の傷害を、同車に同乗中のB子(当二〇年)に加療約三か月以上を要する頸部挫傷を、各負わせたものである。」というのであるが、前示のとおり、本件証拠上被告人が自車をA運転の普通乗用自動車に追突させた事実は認められるが、その結果同人及びB子に頸部挫傷を負わせた事実を認めることはできず、右公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法四〇四条、三三六条により無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐々木史朗 裁判官 竹田央 中西武夫)

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